2012.05.13
事象の地平線
季節外れの寒気に、縮こまって過ごしておりましたけれど、
ふと見上げれば、
目を刺すような新緑。

まぶしい夏が巡っていました。

いつの間にか、山ん田の田植えも済んで、
若緑が、棚田のふちに、やわらかに木陰を広げています。

かつてわたしを、居ながらにして、
冬が遠くへ連れて行ってくれたように、
いまわたしは、
もがいてももがいても抜け出せない、底なしの夏の深みへ、
急速に落ち込んでゆこうとしている。
ふと見上げれば、
目を刺すような新緑。

まぶしい夏が巡っていました。

いつの間にか、山ん田の田植えも済んで、
若緑が、棚田のふちに、やわらかに木陰を広げています。

かつてわたしを、居ながらにして、
冬が遠くへ連れて行ってくれたように、
いまわたしは、
もがいてももがいても抜け出せない、底なしの夏の深みへ、
急速に落ち込んでゆこうとしている。
2012.05.12
木漏れ日よ香れ
じめっとした、薄暗い木立の道の傍らに、今時分、
もしかしたらこんな可憐な花が咲いているかも。

木漏れ日が落とした光の水玉模様みたい。
クルマバソウです。西洋ではウッドラフと呼ばれ、ハーブとして扱われます。
白い花はほのかに甘く、全草は瑞々しい青草の匂い。

越後には希産と言われておりますけど、
佐渡では、日向や乾燥地でなければ、どこにでも生えている雑草です。
たっぷり摘んでザルに広げて乾かすと、その日の夜から、
部屋中が、うっとりするような芳香に満たされます。
クルマバソウは、クマリンを秘めているのです。桜餅の香りの主成分です。
この芳香が、虫除けや、ワインなどの香り付けに利用されるのだとか。
完全に乾き切ったあとよりも、やや半乾きくらいのほうが、
香りが強いように感じられました。
捨てられずに溜まる一方の、お気に入りの端切れで、小さな小さな巾着を縫い、
虫除けに効く他のハーブと一緒に詰めて、衣装箪笥に入れておくつもり。
同じクマリンを持つ植物でも、サクラと、アンニンゴと、クルマバソウでは、
ずいぶん違った雰囲気の香りなのです。
クマリンは、なんと、軽油にも添付されています。
そういえば、軽油の匂いが好き、ってひと、たまにいますものね。
同じはずなのに、どうしてこんなにも違っているのでしょう。
それはつまり、主成分ではなく、その他の微量成分が、
それぞれの個性を決めている、ということだと思います。
これって、人間の個性とか、長所短所とか、
そういう場合にも、言えることなんじゃないかしら。
もしかしたらこんな可憐な花が咲いているかも。

木漏れ日が落とした光の水玉模様みたい。
クルマバソウです。西洋ではウッドラフと呼ばれ、ハーブとして扱われます。
白い花はほのかに甘く、全草は瑞々しい青草の匂い。

越後には希産と言われておりますけど、
佐渡では、日向や乾燥地でなければ、どこにでも生えている雑草です。
たっぷり摘んでザルに広げて乾かすと、その日の夜から、
部屋中が、うっとりするような芳香に満たされます。
クルマバソウは、クマリンを秘めているのです。桜餅の香りの主成分です。
この芳香が、虫除けや、ワインなどの香り付けに利用されるのだとか。
完全に乾き切ったあとよりも、やや半乾きくらいのほうが、
香りが強いように感じられました。
捨てられずに溜まる一方の、お気に入りの端切れで、小さな小さな巾着を縫い、
虫除けに効く他のハーブと一緒に詰めて、衣装箪笥に入れておくつもり。
同じクマリンを持つ植物でも、サクラと、アンニンゴと、クルマバソウでは、
ずいぶん違った雰囲気の香りなのです。
クマリンは、なんと、軽油にも添付されています。
そういえば、軽油の匂いが好き、ってひと、たまにいますものね。
同じはずなのに、どうしてこんなにも違っているのでしょう。
それはつまり、主成分ではなく、その他の微量成分が、
それぞれの個性を決めている、ということだと思います。
これって、人間の個性とか、長所短所とか、
そういう場合にも、言えることなんじゃないかしら。
2012.05.11
そこに最後の家が
この村に最後の家が立つてゐる。
地の果ての家のやうに寂しく。
小さい村が止めない街路は
静に闇へ出てゆく。
この小村はただ二つの広いものの
過渡だ。予知多く又気づかはしく
小橋の代りに家々の傍を過ぎてゆく路。
少し時期を逃してしまったのですけれど、
ユキツバキを見に、生椿(はえつばき)を訪ねました。
生椿は旧新穂村に区分される山間の小さな集落です。
もっとも、この小村は早いうちに、最後の村人が山を下り、
人住まぬ野良となって久しいのです。
厳しい冬の豪雪ゆえに、かの地の椿は這うと言われ、
それが這い椿の名の由来になったとも、
椿が多いので、生え椿と呼ばれるようになったとも、伝えられています。

ミヤマシキミの甘い芳香が、地際から立ち昇ってくるような静かな夕暮れでした。
集落の背後の山を少し登ると、一面のユキツバキ群落が出迎えてくれました。
急な斜面を、なだれ落ちるような幾千もの白い枝。
生椿のツバキが這うのは、それが暖地性のヤブツバキではなく、
冬中雪に閉じ込められる、豪雪地帯に適応したユキツバキだからです。
佐渡ではユキツバキの自生地は比較的限定され、
小佐渡の東側に多いと言われています。

ユキツバキの花は、ヤブツバキに比べると、変異に富んでいるように感じられます。
これは、ヤブツバキに近い花型のものですけれど、ざっと見渡してみても、
このような典型的なタイプは、むしろ多くありません。

メガホン型よりも、花びらが大きく平面に開くタイプが目立ちます。

しべが大きく、花びらの大きなサザンカ型も多い。
6枚の花弁のうち、1枚、もしくは2枚が小さくなる傾向は、
しばしば見受けられました。

葉に比べて、花が非常に小さいのがおわかりでしょう。
こういうタイプは、案外、通好みなんじゃないかしら。

花色の薄い桃花型。白花もあると言われていますけど、
今日はちょっと探せませんでした。残念。

この花のしべはかなり退化しています。
もはや生殖器官としての機能は残っていないでしょう。

これは進化系。
時すでに遅く、すべて散っておりましたけれど、
雪国の冬の辛さを忘れさせるくらい、都会的で華やかな雰囲気です。
わたしが最初に生椿を尋ねたのは10年ほど前で、
いくらかの畑地に手が入っているほかは、
圃場は放棄され、訪れる人もほとんどありませんでした。
現在は、野生のトキの最後の生息地として知られるようになり、
エコツアーや農業体験などの、ワークショップの場として整備され、
多くの田んぼに水が引かれています。

何も体験しないよりは、1度でもしたほうが、きっといいのでしょう。
もともとあった、山桜の老木を切り倒した傍らに、
新たに植えられた若い桜の並木を見るにつけ、
その体験と、実際の百姓の生活との距離について、考えずにはいられません。
現代人の住む場所ではないと、散々に言われますけど、
わたしの暮らす山の家の周囲ですら、
生椿ほど極端な圧雪樹形にはなっていません。
ユキツバキの楽園では、椿だけでなく、ほかにも多くの木々が、
そして人間ですらも、地に這いつくばるようにして、
必死に生活していただろうと思うのです。
そのような生活の中でも、トキのために、
あるいは、生まれ育ったふるさとのために、
最後までこの地にとどまっていた、その最後の一人の想いと、
トキのヒナの誕生に浮かれる、現在のわたしたちの想いとの隔たりに、
ただ呆然として、黄昏の中に立ち尽くす。
そんな、ちょっぴりさびしい夕暮れでした。
かうして村を出る人々は長く彷徨ひ、
途上に死ぬものも多からう。
『この村に最後の家が』 リルケ 茅野蕭々訳
地の果ての家のやうに寂しく。
小さい村が止めない街路は
静に闇へ出てゆく。
この小村はただ二つの広いものの
過渡だ。予知多く又気づかはしく
小橋の代りに家々の傍を過ぎてゆく路。
少し時期を逃してしまったのですけれど、
ユキツバキを見に、生椿(はえつばき)を訪ねました。
生椿は旧新穂村に区分される山間の小さな集落です。
もっとも、この小村は早いうちに、最後の村人が山を下り、
人住まぬ野良となって久しいのです。
厳しい冬の豪雪ゆえに、かの地の椿は這うと言われ、
それが這い椿の名の由来になったとも、
椿が多いので、生え椿と呼ばれるようになったとも、伝えられています。

ミヤマシキミの甘い芳香が、地際から立ち昇ってくるような静かな夕暮れでした。
集落の背後の山を少し登ると、一面のユキツバキ群落が出迎えてくれました。
急な斜面を、なだれ落ちるような幾千もの白い枝。
生椿のツバキが這うのは、それが暖地性のヤブツバキではなく、
冬中雪に閉じ込められる、豪雪地帯に適応したユキツバキだからです。
佐渡ではユキツバキの自生地は比較的限定され、
小佐渡の東側に多いと言われています。

ユキツバキの花は、ヤブツバキに比べると、変異に富んでいるように感じられます。
これは、ヤブツバキに近い花型のものですけれど、ざっと見渡してみても、
このような典型的なタイプは、むしろ多くありません。

メガホン型よりも、花びらが大きく平面に開くタイプが目立ちます。

しべが大きく、花びらの大きなサザンカ型も多い。
6枚の花弁のうち、1枚、もしくは2枚が小さくなる傾向は、
しばしば見受けられました。

葉に比べて、花が非常に小さいのがおわかりでしょう。
こういうタイプは、案外、通好みなんじゃないかしら。

花色の薄い桃花型。白花もあると言われていますけど、
今日はちょっと探せませんでした。残念。

この花のしべはかなり退化しています。
もはや生殖器官としての機能は残っていないでしょう。

これは進化系。
時すでに遅く、すべて散っておりましたけれど、
雪国の冬の辛さを忘れさせるくらい、都会的で華やかな雰囲気です。
わたしが最初に生椿を尋ねたのは10年ほど前で、
いくらかの畑地に手が入っているほかは、
圃場は放棄され、訪れる人もほとんどありませんでした。
現在は、野生のトキの最後の生息地として知られるようになり、
エコツアーや農業体験などの、ワークショップの場として整備され、
多くの田んぼに水が引かれています。

何も体験しないよりは、1度でもしたほうが、きっといいのでしょう。
もともとあった、山桜の老木を切り倒した傍らに、
新たに植えられた若い桜の並木を見るにつけ、
その体験と、実際の百姓の生活との距離について、考えずにはいられません。
現代人の住む場所ではないと、散々に言われますけど、
わたしの暮らす山の家の周囲ですら、
生椿ほど極端な圧雪樹形にはなっていません。
ユキツバキの楽園では、椿だけでなく、ほかにも多くの木々が、
そして人間ですらも、地に這いつくばるようにして、
必死に生活していただろうと思うのです。
そのような生活の中でも、トキのために、
あるいは、生まれ育ったふるさとのために、
最後までこの地にとどまっていた、その最後の一人の想いと、
トキのヒナの誕生に浮かれる、現在のわたしたちの想いとの隔たりに、
ただ呆然として、黄昏の中に立ち尽くす。
そんな、ちょっぴりさびしい夕暮れでした。
かうして村を出る人々は長く彷徨ひ、
途上に死ぬものも多からう。
『この村に最後の家が』 リルケ 茅野蕭々訳
2012.05.10
月の砂漠をはるばると
あら、これって黄砂かしら。

そろそろ収束する時分と思っておりましたけど、
花冷えとも呼べぬ、この季節はずれの寒気が、一緒に連れてきたのかしら。

黄砂って本当に黄色い。硫黄の粉末みたいなレモンイエロー。
そんな色をした砂漠が、世界のどこかに広がってるんだな。

そろそろ収束する時分と思っておりましたけど、
花冷えとも呼べぬ、この季節はずれの寒気が、一緒に連れてきたのかしら。

黄砂って本当に黄色い。硫黄の粉末みたいなレモンイエロー。
そんな色をした砂漠が、世界のどこかに広がってるんだな。
2012.05.09
雲の海を越えて

夕暮れ時、大佐度山脈の前面に、巨大な雲の垂れ幕が出現しました。
雲海です。5月にはしばしば現れると聞いていたのです。
夕闇が迫っておりましたけど、スカイラインに急行します。

思った以上に、雲が降りてきていました。
金井の街の辺りは暗いのですが、新保ダムの上はもう霧が晴れています。
自衛隊の下の方で、何台か、下ってくる車とすれ違いましたけど、
その上はもう人影もありません。
国仲を一望できる場所まで上り詰めると、思わず息を呑みました。
平野がすっぽり雲に覆われています。

とてもとても、低くて薄い雲が霊気のように立ち込めています。
山の端を、すうっと、昇ったり、下ったり。

ああ、神秘の島。
この島に生まれ、この島に生きている。
わたしの満願はすでに成就している。




