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2012.05.13 事象の地平線
季節外れの寒気に、縮こまって過ごしておりましたけれど、
ふと見上げれば、
目を刺すような新緑。

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まぶしい夏が巡っていました。

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いつの間にか、山ん田の田植えも済んで、
若緑が、棚田のふちに、やわらかに木陰を広げています。

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かつてわたしを、居ながらにして、
冬が遠くへ連れて行ってくれたように、
いまわたしは、
どこまで行っても抜け出せない、底なしの夏の深みへ、
急速に落ち込んでゆこうとしている。

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名にしおはば いざ言問はむ都鳥 我がおもふ人はありやなしやと
                                  在原業平


東国に逃れた在原業平が、京に残してきた藤原高子を想って、
この歌を詠んだといわれるのが、先ごろ、
『とうきょうスカイツリー駅』に改名した、
『業平橋駅』のあたりであったと伝えられています。

どんなことにも、とかく最初は批判がつき物でしょう。
わたしは東京という土地柄や、そこに生きる東京人たちの感覚が、
正直全然わからないのですけど、大都市の喧騒の真ん中で、
1200年前の薫風を、ひそやかにも漂わせていた、業平の名が失われるのは、
もしわたしがその沿線に暮らす者であったなら、日常の中にある、
ささやかだけど、かけがえのない、心の支えをひとつ失うような、
とてもさびしいことのように思われてなりません。

さて、他所はさておき、飯出山のマンサクはそろそろ咲いたかしら。
名残雪が続いているせいか、登山道にはまだ雪が敷き詰められていますけど、
さすがにかんじきは不要になりました。

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この前目をつけておいた木が、一向に見当たらないと思っていたら、
雪が解けて、枝がずいぶん高く、遠くなってしまっていたのですね。
見上げる空一面のマンサク。小さな小さな線香花火が散っているのがおわかりかしら。

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ほらね。栽培のものより、ずっと控えめな印象。

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花木として選別されたものとは違って、花つきもはマチマチ、花びらも小さい。
木の姿は自由気ままで、株立ち傾向があり、けっこうな高木になるみたい。


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なかなか手の届くところに花がないのです。
ようやく見つけた一輪は、花弁の赤味が強めでした。
散り際かとも思ったのですけど、蕾も同じ花色です。

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庭木として使用されるものは、濁りのない濃い黄色ですけど、
自生のマルバマンサクは、花色も自由で、
紅が差しているものをけっこう見かけました。
こっちの花色も、悪くないと思うんだけどな。

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これは奇跡の一輪。まぶしいくちなし色は、春の訪れを告げるのに、
確かに最もふさわしい色かもしれません。

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山ん田では代掻きが始まっていました。
手押し型の耕運機、懐かしいな。
祖父もこれで、あたり中の棚田を、日がな一日、黙々と耕し続けていました。
そういう人生でした。

4月に入ってもまだ、雪がちらついています。
一向に春の気分も盛り上がりませんけれど、
ようやく梅が開き始めました。

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平安以降、花といえば桜ですけれど、
万葉集の時代には、芳しい梅のほうが愛されたとか。
桜や梨は山にも生えているのに、梅が自生していないのを、
幼心に不思議に思っていましたけれど、
梅は中国からの渡来品で、当時の最先端の花木だったようです。

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   ぬばたまの その夜の梅を た忘れて 折らず来にけり 思ひしものを
                              大伴 百代


万葉集の梅は、すべて白梅であったと言われています。
そのため、梅の花はしばしば闇夜と結び付けられました。
闇にぼうっと浮かび上がるような花姿や、
目には見えないのに、どこからともなく香りだけが漂ってくるのは、
歌の題材にはおあつらえ向きです。

   東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ
                              菅原 道真


清少納言は、「こきもうすきも紅梅」と書いています。
紅梅を珍重したのは、目新かったのもあるのかもしれませんが、
いかにも“はんなり”な京好みの印象です。
学者の家系であった少納言や道真が梅を愛したのは、
漢文の教養への自負もあるでしょう。
文化の中心が東日本に移る江戸以降には、
再び白梅が粋人たちの心をとらえたようです。

          しら梅に 明くる夜ばかりと なりにけり
                              与謝 蕪村


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梅が春を忘れず咲くように、農夫たちも春を忘れてはいません。
まだ寒々しいような棚田にも、水が溜められていきます。

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畦切りは、欠かすことの出来ない、長く、骨の折れる作業です。
10年ほど前までは、誰もがしていたように思うのですが、
あっという間に見かけなくなりました。

もしも東京に暮らしていたら、
ユニクロに行列していたかもしれない、今日のわたし。
でもここは銀座ではないから、
現実のわたしはひとり、飯出山に登ります。

予想外に雪が残っていてびっくり。
登山口まで車で侵入できずに、県道脇に駐車して歩き始めます。
まだ作っている田んぼが何枚かあるのですけれど、
降り積もった雪の上を、
我が物顔で走り回っているタヌキの足跡が、びっしり残っているのが愉快です。
寒さもなんのその、春が来たのが嬉しくて、はしゃいでいるのかな。

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飯出山祭の日に父が生まれたので、我が家では勝手に、
父の守り神と思われている修験の霊山です。
夏には車道も通っているので、子供時分からの思い出の多い山です。
今日ここを選んで登るのは、
マンサクの花に出会えるかもしれないと期待しているからです。
早春の山でいち早く、線香花火みたいな花を頭上に散らせるマンサクは、
「まんず咲く」という東北弁が語源とか。
大佐渡でもよく見かけるようですが、小佐渡では飯出山道が多いと聞いています。

思惑が外れて、登山口から早速、かんじきを装着して登り始めます。
尾根伝いの道に入るまでのだらだら坂は、
左右に古い山ん田を望みながら進みます。
修験者たちの、敬虔な祈りの道が、同時に、
山ん田を見回るための、毎日の生活の道でもあった、不思議な飯出山道。

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それにしても立派な山ん田が、川筋からずうっと、山頂まで、
険しい山の斜面を駆け上がっていく光景には圧倒されます。
放棄されて随分経つみたいだけど、山ん田の記憶はとどまり続けています。

木の芽はまだ固いなあ。いくら春1番に咲くとは言っても、
本当に咲いているかしら。
このコブだらけの木はなんだろう。あちこちが関節みたいに膨らんで、
エル・グレコのフレスコ画みたい。何本も見かけます。
アベマキという落葉樹は、特にこのようなコブを発生しやすいようです。

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背の高いヤマナラシの白い幹は、やっぱりハンサムだな。
ついつい見とれて足が止まります。

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さて肝心のマンサクはどの木かしら。
マンサクの木は、冬でも枯葉を落とさないので、
それが目印になると聞いたことがあります。
あ、これかな。

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案外細身の低木です。木々の背丈が低くなりはじめる、
稜線付近から目立ってきました。

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去年の実が残っています。
花は奇抜ですけど、果実はけっこう普通なんですね。
芽はまだ固いなあ。
春の日差しはうららかですけど、まだ雪がたっぷり残っています。

稜線はあきらめて、一番標高が低いところのマンサクを見上げたら、
雪解けの水滴みたいに、枝先に嬉しい、小さな蕾。
殻が裂けて、花弁の色がのぞいています。

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もうひと息で咲きそう。
もしかして、何かの間違いで、ひとつくらい咲いてるんじゃないかしら。
血眼になってあたりを探し回りましたけど、
間違えるわけないか。
まず咲いて、春を知らせる大任を負っているんですものね。

23歳の夏は厳しい夏だった。
どう生きたいのか、自分を見失って、
漠然と流される覚悟もなく、完全に立ち往生していた。

それまでわたしには、自分がどうしたいのかわからない、
という経験がなかった。人生などという大それた言葉を持ち出すまでもなく、
自分が今どうしたいのか、それはいつもわかっていたし、
正しいかどうかは別として、わたしは直感に従って進んできた。

どうやってあの厳しい夏を切り抜けたのだったろう?
覚えているのはひとつの後姿だ。
否、わたしはそれを見たのではなく、思い描き、鮮烈に記憶したのだ。
わたしが実際に見たのは山ん田(やまんた)だ。
小佐渡の山頂に程近く、水源から溢れ出たばかりの、
細く険しい渓流が、傍らをさらさらと流れ落ちていくような、
山深くに、奇跡のように現れた山ん田の風景だ。

その田んぼを作る者しか使わない、木立の奥へ分け入る山道の先に、
ひとところに、わずか10株ほどが植わるだけの、小さな棚田が斜面を昇っていく。
一枚一枚、丹念に塗られたあぜ、舐めるように刈り込まれたあぜ草、
こわ水(湧き出してすぐの冷たい水)がかりで、セミが歌う夏だというのに、
平地のものよりもずうっと背の低い、ちぢこんだ稲。
そこに初めて至ったとき、
時間が止まったようなこの山ん田を作る人の後姿が、
そのひとが、まだ薄暗い朝の冷気の中を、粛々と、山道を下って、
山ん田を差し目指す、その光景が、
フラッシュバックのようにわたしの脳裏をよぎり、そのまま焼きついたのであった。

あのとき見た山ん田のことを、10年も経た今になって、毎日のように考えている。
ああいう山ん田は、わたしが子供の時分には、家の周りにも広がっていて、
主に祖父が手入れしていたが、彼が死んで、ほとんど放棄してしまった。
10年前でも珍しかったが、今となっては、観光目的でなく、
誰にも知られることのない、本当の山ん田というものは、
もうこの島には残っていないのではないか。
そう思うと矢も盾もたまらず、わたしは全く、
よい写真を撮ろうなどということには興味がないのだが、
まだ、ひとつでも残っているうちに、
山ん田の四季を追い、記録に残したいと考えるようになっていたのだった。

21世紀にこんな桃源郷が残っていたのかと、目を疑ったほどの、
いつ放棄されるとも知れぬ山ん田である。
今年こそ最後のチャンスかもしれない、と思いながらも数年を見送ったが、
先日、意を決して、あの夏に見た山ん田を訪ねた。

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地名を聞けば誰しもが、国仲の最奥、と思う土地のさらに奥である。
夏でもそこを通る者はほとんどなく、冬は完全に雪に閉ざされてしまう。
かんじきを履いて、ノウサギやらの足跡だけが、点々と残る雪原を歩く。

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最後の人家のあるところから、うろ覚えの道を、1時間あまり歩いて、
ようやく目指す山ん田に至った。

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なにもかも以前のままだ。雪が山ん田の曲線を浮かび上がらせている。
だが少し遅すぎたようだ。昨年のあぜ草が茫々に伸びたまま枯れている。
水がぬるんで現れた水源近くのぬかるみに、刈り残された稲の株の代わりに、
雑草が沈んでいるのが見える。

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失望は深かったが、予期していたことでもあった。
いつのまにか、この山ん田も放棄されてしまったのだ。
作り手の高齢化を思えば、無理からぬことだ。
誰が責められるだろう。それどころか、
そこを守り続けていたことは、誰からも讃えられず、
ほとんどの人には知られてもいなかった。
そんなことのために作り続けていたのではなかった。

今、山ん田は静かに山に還っていく。
動き始めた春の水が、老いた農夫のかわりに、
何かの雑穀を運び、今年も山ん田に種を蒔く。

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不思議なことだが、当初の目的を、わたしはあきらめていない。
あんな素晴らしい山ん田は他にはない、と思う気持ちもないではないが、
わたしは、あの夏に見たような山ん田を、
生きている本物の山ん田を、もう一度探してみようと思っている。
それはもしかしたら、まだ、この島のどこかに息づいていて、
今年こそが、絶景に出会える、最後のチャンスかもしれないのだから。

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ただひとつ確かなことは、最初に考えていたよりも、
山ん田の四季を巡る旅は、もっと長くて、険しいものになりそうだ。

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