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2011.06.30 永遠の忘れ物
チェルノブイリの原発事故で、
住みなれた故郷を離れなければならなくなった人びとは、
本当のことは何も知らされず、ほんの2、3日家を空けるだけのつもりで、
軍の用意したバスに乗り込みました。
それが我が家との永遠の別れになるとは、誰も考えませんでした。

この出来事を振り返って、
あるひとが次のように語っていたのが印象的でした。

     もしあらかじめ、二度と戻れないと知らされていたなら、
     人びとはもっと多くの思い出の品をたずさえて家を出たに違いない。
     けれども仮に、入念な準備の時間が与えられていたとしても、
     結局は何かを置き忘れていて、それを忘れてしまったことを、
     一生後悔し続けることになっただろう。


雲仙・普賢岳の土石流によって、
集落そのものが消失してしまった住人が、20年の歳月が流れても、

     どうした拍子にか、今でも家へ帰れるんじゃないかと考えてしまう。

そうつぶやいていたのも忘れられません。


このようなことは、すべてのひとの人生に起こりうるのです。
あの日、あのときに置き忘れてしまった何か、
言えなかったひと言、
他人目にはさまつな事柄でも、
二度とは還らぬその小さな忘れ物のことを、
取り戻せぬがゆえに、ひとは、一生涯、
考え続けねばならぬという業を負っているのかもしれません。
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軒先に、ツバメが巣をかけていたのですが、卵を温めている様子もないし、
どうも変だなと思っていたら、とっくにヒナが生まれていました。

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こんな山奥の一軒家の軒先に巣をかけるようなツバメは、
遅れて渡ってきたのか、優柔不断なのか、
下界では行き場所を見つけられなかったペアなので、
産卵なども少し遅れるようなのです。

このくらいのヒナは、始終ジュクジュク泣きわめいてエサをねだるものですが、
うちにはネコがいるので、身をひそめておとなしくしています。
おととしは、ネコに襲われて巣ごと落下してしまいました。
去年は、迷いツバメは来ていましたが、結局巣はかけずじまい。

今年は、残っていた古い巣がいつの間にか修復されていて、
時々ツバメは見かけたのですが、なんとなく気のないそぶりで、
卵はあるのかないのか、
でもちゃあんとヒナは育っていました。

久々の晴れ間がのぞいている今日は、親鳥たちはエサ探しに奔走しています。
こごめの入りで行っている、生き物調査についてお話しておきましょう。
この調査は、加茂湖水系再生研究所の主催で、年5回程度行っています。
すでに1サイクル、1年分を終了しています。

【こごめの入り生き物調査】を始めた当初の目的は、ヨシ場の整備に伴い、事前に、
どのような生物が生息しているか、記録しておくことにありました。
実際に調査してみて、生き物の数の多さに愕然としました。
このよどんだ、小さな浅い入り江には、
たいした生き物はいないだろうと、誰もが考えていたからです。

一見悪環境に見えるこごめの入りは、実は生命にあふれた豊かな入り江だったのです。
そのとき、こごめの入りを、加茂湖という海を象徴する場所として、
発信することが出来るのではないかと直感しました。
加茂湖は、淡水と海水の交わる閉鎖的な海です。
こういう場所では、植物プランクトンが大量に発生して、海水の透明度は下がります。
わたしたちは無意識のうちに、
どこまでも透き通った青い海が、キレイな自然だと刷り込まれてはいないでしょうか。
そうではない、自然の本当の美しさは、もっと多様なのだ、
ということを加茂湖は教えてくれます。

1年を通じて、何度か調査を行うことで、季節による変動も実感しました。
加茂湖の浅瀬は、夏と冬の水温差が30℃にもなる、極めて苛酷な環境です。
通年生息している種もありましたが、色々な幼魚が大量に入ったり、エビが抱卵していたり、
入り江の見た目はほとんど変わらないのですが、海の季節変化は確実に表れています。

この生き物調査は、手作りの、きわめて簡易的な調査であり、
その結果も、専門的な研究データとしての価値はありません。
わたしはこれまで、何度か、科学的データや客観的事実が、
必ずしも人の心を動かさない、という現実に直面してきました。
では一体何が、真に人の心をとらえ、魂を揺さぶるのだろう?
その質問に対する答えが、この生き物調査なのです。

これはあくまでわたし個人の考えですが、
こごめの入りには、もうこれ以上手は加えずに、環境教育の場として、多くの子供たちに
(そして、自然を実感として理解する機会を失ったまま成長してしまった、多くの大人たちに)
開放するのがよいのではないかと思います。
最終的には、『環境教育』などという、いかにもうさんくさい名目がなくても、
子供から老人まで、いつも誰かが水辺に集っているような、
そういう場所になってほしいと願っています。

2011.06.27 佐渡島沿岸
島の沿岸部で、よく登場する地名を図示しています。

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2011.06.27 加茂湖周縁
加茂湖の周縁部で、よく登場する地名を図示しています。

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のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて 垂乳根の母は死にたまふなり
                                      斉藤 茂吉


母の命日でした。
父と妹と、墓参りに行ってきました。
6歳年の離れた妹とは、今はふるい戦友のような関係です。
6歳も離れていると、姉妹の仲は複雑です。
彼女が自意識を持ち始めた頃には、わたしは高校進学のために佐渡を離れていました。
5年後に卒業と同時に帰島して、初めて妹は自分に姉がいると確信したようです。
長期の休みもバイトなどで家を空けることが多かったので、
同じ家にいても、わたしたちはもっとも遠い存在でした。
高校卒業から間もなく、両親との関係がこじれた年頃の妹は新潟に出て行きました。
それから、縁の切れない、つかず離れずの友人のようにして過ごしてきました。

母が、余命いくばくもない、と告げられたとき、
父や弟は、逃げるように、自身の悲しみの中に落ち込んでいきました。
早い段階で腎臓がダメになったので、衰弱はすさまじく、
病名を知りたいという妄念が彼女を狂わせてゆきました。
告知すべきであるという医師のすすめからも、彼らは逃げ続けました。

わたしは当初から告知派で、妹は反告知派でしたが、
最終的に告知すると決めてからは、わたしたちは一致団結しました。
茫然自失で決断を下せない父や、毎日めそめそと泣き続けている弟は頼りになりません。
病室で毎日つき添うのは妹の役目で、わたしは医師との連絡に奔走しました。
心を強く持って、涙を忘れ、笑いながら、母との最後の日々を過ごそうと話し合いました。

よく、男は弱く女は強いと言いますが、それは本当だろうと思います。
わたしが間違っていたのは、女の強さが男の弱さを凌駕するのではなく、
男の弱さが女の強さを、優しいもやのように包み込んで癒すのだ、ということです。

実際、告知ののちに、死を覚悟した気丈な母が受け入れたのは、
わたしたちの強さではなく、父や弟の弱さでした。
涙も見せずに普段どおりに接するわたしたちに対しては、
我を忘れて当たり散らすときがありました。

今、あの嵐のようなふた月を振り返って、思うことは、
あんなふうに無理をして、強い女であり続ける必要はなかったのです。
ひとり部屋に帰って枕を濡らす代わりに、
母の手を握って一緒に泣けばよかったのです。
告知するかどうかなどいう議論は少しも重要ではなく、
父や弟がそうしていたように、いかにもしょんぼりとして、
言葉もなく傍らに座っているだけでよかったのです。

しかし一方で、あのとき、もし家族のうちの誰かが、
悲劇の只中にあっても強い先導役として、皆をまとめあげねばならなかったのだとするなら、
誰かが戦争の最前線に立たねばならなかったのだとするなら、
それが父や弟ではなく、わたしたちであったことを誇りに思おう。
わたしたちが涙を呑む代わりに、彼らの心が少しでも軽くてすんだのなら、
それでよかったのだろうとも思うのです。
2011.06.24 夏はよる
夏はよる。月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。
また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。雨など降るもをかし。
                                         枕草子


今夜、下界から上がってくる途中で、ホタルを見ました。
驚きました。昨日、佐渡には記録的な大雨が降って、川は増水し、
いつもなら澄み切っている渓流にも、泥水がごうごうと流れています。
この大水でみんな流されて、今年はホタルを見ることなく、
すっかり時期を逸してしまったものとばかり思っていました。

ホタルを見ると、枕草子のあの有名な一節よりも、

ほ、ほ、ほたる、こい。

という懐かしい歌が口を突いて出てきます。

ガスのかかっているような少し肌寒い夜でした。
今住んでいる山間の集落は、いわゆる限界集落なので、
作付けしている田んぼももう残りわずかなのですが、
その一枚に目を凝らすと、かすかに水際がまたたいています。
寒かったり、風が強かったりすると、ホタルは空中を舞わずに、
水面近くの稲の隙間に沈んでいることが多いのです。
どういう加減なのか、ふわっと、光のかたまりが浮かび上がるように光るときがあって、
そういうときには、和泉式部の歌を思い出します。

ものおもへば 沢のほたるもわが身より あくがれいづるたまかとぞ見る

わたしにとってホタルは祖父の思い出です。
土木作業員だった祖父は、町まで自転車で通っていましたが、
帰り道、汗臭い野球帽に包んで、1匹だけ、ホタルを持ち帰ってきました。
幼かったわたしたち姉弟は、そのホタルを牛乳瓶に閉じ込めて、枕元に置いていました。
幻想的だけれども、力強い生命の光に心奪われながら、
いつしか深い眠りに落ち、目覚めるとなんの変哲もない黒い虫が、
牛乳瓶の底で死んでいるのを見て、魔法が解けたような虚しさをいだいものです。

そのとき布団の中で、確かに見ていたはずのホタルの輝きは記憶にはなくて、
ビンの底で仰向けに転がっていた、小さな虫の姿が脳裏に焼きついています。
それから薄闇の中で、ぼろぼろの自転車を引きながら、
幾千もの光に包まれて、野球帽を振り上げている祖父の姿がよみがえります。
彼がホタルをつかまえる姿を、わたしは見たことがなかったはずなのに、
実際に見たものよりも鮮明に思い出されるのは、不思議なことです。

昨日夏至でした。
嵐の前の、蒸せる熱気に包まれた一日でした。

今日は夜明け前から激しい雨が降っています。
この嵐は数日続くようです。
庭がすっかり干せ上がっていたので、恵みの雨になりました。

世界がいつも美しいのは、雨の日があるからです。
デュラスの『ラ・マン』に印象的な一節がありました。
ちょっとうろ覚えですけれど、

     ひとはあなたが、かつて美しかったと言う。
     けれどもわたしは、今のあなたのほうが美しいと思う。
     いくつもの激しい嵐が過ぎ去ったあとの、今のあなたの顔のほうが。

この雨が上がったら、世界はそういう顔で微笑みかけてくれるでしょうか。
そういうとき、つられて口元をほころばせるわたしの顔にも、
嵐の記憶が、風紋のような陰影を刻んでいるでしょうか。
2011.06.21 夏に至る日
暦の上では明日が夏至です。
天文学的には、夏至とは、ある1点を太陽が通過する瞬間であり、
それは今日の17時過ぎ、佐渡は曇り空でした。

20日に立ち寄ったとき、二見にはお祭りののぼりが立っていました。
山車の準備などもしていましたから、祭りは、夜か、21日なのでしょう。
夏至にお祭りって、素敵です。
春分、秋分は祝日として扱われるほど重要視されていますが、
これには仏教が影響しているのだとか。
中庸を重んじる仏教では、昼と夜の長さが等しい、ということが尊ばれたのです。

わたしの実家の集落の神社は、農業の神様で、春と秋に例祭が行われます。
佐渡ではそういうところが多いと思います。
一方で、冬至や夏至に近い期間に行われる例祭には、稲作が伝わる以前の、
より古代日本的な宗教観が色濃く残っているのではないかと、折口信夫は考えました。
古代日本人にとっては、昼と夜の長さがアンバランスになる、
ということのほうに意味があったのです。
そのようなとき、世界の均衡は崩れ、
人間の暮らす現世と精霊の世界とが交錯すると考えた原始日本人たちは、
特別な儀式によって、精霊と交信しようとしました。
これが現在の例祭の起源となったのです。
春や秋に例祭を行う場所では、仏教の伝来に伴って、
古代的な価値観が刷新されてしまったのでしょう。
折口の目から見ると、仏教伝来当時の日本ですら、
もはや古代とはほど遠い、新しすぎる時代に映ったようです。

海は夏至を知っているだろうと思います。
6月の海にはそういう生命の興奮のようなものが満ちているのです。
わたしは12月は寒いので入りませんが、11月にも同じ躍動を感じます。
自然がこの特別な日のことを知っているのは、当然かもしれません。
むしろ人間が自然から、この日が特別であることを学んだのでしょう。

2011年 6月20日 12:00 二見

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アマモ場に特変はありませんが、ケイ藻の付着が多くなっています。
これはこの時期にはよくあることで、問題はないと思います。
なんとなく、今年は魚影が濃いように感じます。
海藻が例年より、よく繁茂しているように見えることと関係があるかもしれません。
冬が寒かったので、浅い海の水温が十分に下がったことが、
海藻の生育に好適な条件となったのではないかと思います。
メバルの幼魚やキヌバリなど、磯の魚をよく見かけます。

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実はここのアマモ場は、昨年の秋、流失したのか枯れたのか、
ひと月の間に大規模に群落が消失しました。
枯れ野原のような砂底に、実生のアマモがぽつぽつと発生しています。
5年ほど入り続けている場所ですが、アマモ場の更新のサイクルに入ったようです。

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アマモは枯れました(そして再生しています)が、
この穏やかな海の砂底は砂漠ではありません。
ゴカイやハゼ、巻貝、ウニたちの生活はなんら変わることなく続いています。
砂の上に、底なしのおわんのようなものが転がっています。
スナヂャワンと呼ばれるツメタガイの卵塊です。
この完成度の高い造形は、いつ見ても神秘的です。

二見では、平沢や多田でよく見られる、
立体的なブンブクチャガマ系のウニは、ほとんど見あたりません。
かわりに平べったいカシパン系が生息しているようです。
潮通しの良さと関係があるのかもしれません。

ここは海草の一種である、ノトウミヒルモの生育地ですが、
今年は全く生えてくる気配がありません。
生活史は場所によるでしょうが、二見では冬には地上部が消失するようでした。
それでもいつも5月には、新しい葉が展開していたのです。
この小さな海草は、アマモ場のへりに発生していたので、
アマモ場と共に流失してしまったのかもしれません。
わたしの知る限りでは、海水浴場のような身近な海でウミヒルモを見ることが出来る場所は、
佐渡ではここだけでした。引き続き様子を見たいと思います。

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海岸にテトラポッドが入っているのは、景観的には好きではありませんが、
よりどころの少ない砂浜では、重要な生態系の場になっていることが少なくありません。
テトラ周りを泳いで見るのは、なかなか楽しいものです。
いつか詳しくお話しましょう。

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これはアズキウミウシです。だいたい1cmくらいです。
加茂湖でも見かけます。図鑑にも緑藻の上がお好みとありますから、
移ろいやすい浅い海に適応した種なのでしょう。
2011年 6月20日 大浦(七浦海岸) 11:30

海草の開花期にあたる6月は、たいてい砂浜へ向かうのですが、
今日はちょっと趣向を変えて、大浦の転石海岸、典型的な岩場に入ってきました。

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1mほどの水深から、アクアリウムのような素晴らしいガラモ場です。
この写真、随分赤みが強いと感じませんか。
これ、この時期に特有の現象なのです。浅瀬のガラモ場は、
繁茂した褐藻が防波壁になるので、潮がよどんで、内部の水温が高めになります。
ぬるい海水に煮出されて、老成した褐藻の色素が溶け出しているのです。
こうなるといよいよガラモ場の最終段階です。

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深所では、褐藻は倒れたり、沈んだりしています。

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冬の季節風が吹きつける大佐渡沿岸のガラモ場には、カイフモクがよく見受けられます。
円錐状の根でしっかりと岩にしがみついています。
夏でも冬でも、草丈にはほとんど変化が見られません。
強烈な波浪に適応した結果であろうと思います。

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褐藻の空白地帯には、ツルモが生い茂っていました。
これは、冬の時化にかかわらず、5月ごろに凪の続く場所でよく見かけるようです。
長い髪の毛のような海藻が、まっすぐに林立している様は、ちょっと不思議です。
ツルモはどうして直立できるのですか、と聞かれたことがあるのですが、
確かに的を得た質問です。この海藻には気胞はありません。
太い茎(葉?)の先端部分に、空気を蓄えているのです。

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大きな岩の頂上付近は、浅瀬と同じ環境です。
サンゴモや紅藻の草原で、たくさんのアメフラシが食事中です。
高原で草をはむ牛の風情です。

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今はアメフラシの産卵期です。岩陰に、オレンジやピンクやアイボリーの、
ぐちゃぐちゃに絡まった細い紐のようなものを見かけたら、
それがアメフラシの卵塊です。ウミゾウメンと呼ばれています。
あの海藻のウミゾウメンとは、まったく別物です。
こちらの卵塊の通称ほうが、よく知られているようです。

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護岸の下では、クロヘリアメフラシが集団交尾中です。
ウミウシは雌雄同体で、前のものがオスになるのだったか、メスになるのだったか、
前にも後ろにもいたなら、体の半分がオスで残り半分がメスにもなり・・・
そんなこんなで、自在にオスとメスを使い分けているようです。
背中の赤いゼッケンが目立ちます。これは貝殻です。
ウミウシは巻貝の仲間で、殻は退化してなくなっているものも多いのですが、
アメフラシには薄い膜状のものが残っています。
特に写真の一番下のものは、わかりやすいのではないかと思います。

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巨岩のヘリで、エメラルドグリーンの細長い葉をした海草が、たなびいています。
エビアマモです。アマモの仲間で、岩の上に生えます。海草の中で、
岩の上に生えることが出来るのは、エビアマモを含むスガモ属3種だけです。

岩の上は本来、海藻の専売特許です。
陸から海へ舞い戻ったアマモは、遅れてやってきたので、
海藻の生えることの出来ない砂底に、活路を見出さねばなりませんでした。
岩場はすでに海藻に覆われてしまっていたからです。
この話は、以前にもいたしましたでしょうか。

ではどうしてスガモ属だけが、岩の上へと侵出することができたのでしょう。
それはここが砂浜同様、空き地だったからです。
エビアマモが生えるような場所は、一見岩場なのですが、砂地が隣接していて、
海が時化ると、砂がクレンザーのように岩の表面を磨くのです。
せっかく定着した海藻の芽なども、すっきりと削り落とされてしまいます。
陸上生活で鍛え上げた変幻自在の根を張り巡らすことで、
スガモ属は、この空白域を安住の地とすることに成功しました。

エビアマモは、佐渡では素浜や大佐渡沿岸を中心とした、
強い季節風にさらされる海域に生育しています。
大浦は、大佐渡沿岸では最西端になると思います。外海府では普通に見られます。

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ファンタジーの世界の美少女の髪を思わせるこの海草が、
ときどきこんなふうに編み込まれていることがあります。
最初は、波のいたずらで、からみあっているだけかと思っていたのですが、
それにしてはちょっと不自然です。たぶん何かが住んでいるのだと思います。
“何か”が何かは、まだ確かめたことはないのですけれど。
世界を破滅から救う希望の剣のかわりに、
ゴカイなんかが出てくるのだろうと思います。
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