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2011.10.30 旅をする貝
10月は神様からの贈り物です。
例年、10月には強い風が吹いて、天気が良くても海は時化模様。
海に入れない日が続いて、やきもきするんです。
だから発想を変えて、
10月は、神様からの骨休め。
たまには海を忘れて、家でゆっくり冬支度。

わかってはいるけれど、そうすっぱりは割り切れない、
執念深いわたしは、10月の浜辺を歩きます。
波打ち際に、夢見るようなスミレ色の巻貝が転がっています。
これは旅をする貝、ルリガイです。

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泡のいかだにしがみついて、暖流に乗って一生を送ります。
同じく暖流に暮らす紺青のクラゲが主食。
ヒドロ虫の仲間のギンカクラゲやカツオノカンムリです。
クラゲの触手の毒を体内に溜め込んでいると言われています。
触手のウルトラマリンブルーが、
ガラス細工のような繊細な貝殻を、薄もや色に染め上げるのです。
漂着が多いのは素浜です。

ルリガイの漂着のピークは10月ですが、必ずしも毎年は漂着しません。
主な食餌となるギンカクラゲの漂着がひとつの目安です。
クラゲがやって来る年には、ルリガイもそれを追って来るのです。

どうしたことでしょう。今年は風の静かな日が続いています。
おかげで、いつもは家で悶々と過ごす10月も海日和。
神様から取り戻した気分。
そのかわり、素浜にルリガイの漂着は見られませんでした。

ギンカクラゲの名前の由来は、中央の浮遊体が見事な円形になっているからです。
この盤部は、カニの甲羅などと同じキチン質で出来ています。
日の光を反射して、本物の銀貨みたい。
年によっては大量漂着するのですが、今年はごくわずかでした。
それも、例年なら記念硬貨くらいの大きさがあるのですが、
今年は1円玉くらいのサイズです。

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これではルリガイもエサ不足でしょう。
アンドンクラゲも小さいままだったし、
ヒドロ虫クラゲには受難の年だったのかもしれません。
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恋をしてるでしょ、って言われたけど、
本当は死にたいと思ってた。

3年ぶりにひいた風邪はこじらすし、
車はぶつけるし、
部屋は永遠に片付かない。
ダイエットをしてもリバウンド。
お金もないけど、欲しいものも何もない。
仕事は楽、でもつまらない、やりがいなんかない。
ちょっと前まで、休みの日が待ち遠しかったけど、今は怖い。
幸せになるために生きてるだなんて、
考えただけで息が詰まりそう。

死の床で、阿片にうかされて、母は言った、
あんたなんか一生ひとり。
そうね、でも違うのよ、母さん。
あたしは素敵なひとりぼっち。
そう信じていたかったのはわたしのほうだったのよ。

どうせ死ぬなら、もう一度海へ行こうと思った。
風邪なんか治らなくったっていいでしょ、死んだってかまわないんだから。
海は冷たかった。
冷たい海の水の感触が好き。
耳を澄ますと音が聞こえる、不思議な音、特にこういう凪の朝には。
みしみしと水が圧してくる。
世界がひずんでゆく音。

蟹のように波に洗われていたいだけ。
草のように風に吹かれていたいだけ。
わたしが幸せだったころ、わたしは他人を忘れていた。
雲のように傲慢で、自由だった。
それでよかったのに、どうして思い出してしまったの。
だからもう一度忘れたいだけ。
死のようにすべてを忘れたいだけ。
2011.10.30 冷えてゆく湖
2011年10月29日 11:30 加茂湖・樹崎 19.0℃

3ヶ月ぶりに加茂湖に入りました。
水温が高いです。浅い加茂湖は、どこの海よりも早く冷えます。
今年はまだ真野湾よりも温かいので、驚きました。
ここのところ、晴天が続いているからでしょう。

大好きな加茂湖からこんなに長く遠ざかってしまったのは、
やはり今年のカワツルモ群落の状態が、例年になく悪かったので、
なんとなく足が遠のいていたのです。

群落はすっかり様変わりしていました。

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ここ数年、冬季はだいたいこんな感じになるのです。
以前は、カワツルモ群落の外側に大きなアマモ群落があったので、
波浪が打ち消されて、冬でも長いシュートが残っていました。
大きな台風のあと、そのアマモ群落が根こそぎ失われたので、
今は秋口に、強い北東風が吹き込むと、地上部がすっかりもぎ取られてしまいます。
幸いカワツルモの根は、アマモよりもしっかりと自身を固定しているので、
地上部を失っても、翌年には群落を復元することができるようです。

外側のアマモ群落はまだまばらです。このような状態が2年も続いています。
運良くアマモが発芽しても、
群落と呼べるものを再形成するのは、想像以上に難しいことのようです。

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このまばらなアマモ群落の根元に、いくつも、
ころころとした白い塊が転がっていました。

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シロボヤです。昨年大発生して、加茂湖のカキ産業に大打撃を与えました。
このホヤ、不思議なことに、加茂湖以外ではまず見かけません。
よっぽど条件が合うのでしょう。普通はアマモなんかに付着しているのですが、
はがれ落ちてそのままになってしまったみたい。
開きかけの蕾みたいで、なかなか愛らしい生き物です。
刺激を与えると口は閉じてしまいます。
こういう芸当はカイメンには出来ません。高度に進化したホヤだからできるのです。

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今日はフレリトゲアメフラシがたくさんいました。
トゲトゲに覆われた身体とコバルトブルーの斑点が特徴です。
派手に見えますけど、トゲトゲが海藻みたいに見えて、
ちゃんとカモフラージュになっていました。
こちらは産卵中。

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トゲアメフラシも、加茂湖に特徴的な生き物のひとつではないかと思います。
他ではあまり見ませんが、加茂湖では時々大集結しています。
長年にわたって、佐渡の海を調査してきた研究家の方たちは、
以前には全く見なかったと言っています。
ほかには両津湾の、湖口に近い平沢あたりでは見かけます。

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卵塊にアラムシロガイが群がっています。
この貝は、本来、死肉などを食べる海の掃除屋なのですが、
けっこう獰猛な一面があるのですね。

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何にもない泥の底に、無数のくぼみ。
穴じゃないんです。穴だったら何かの住処なんでしょうけれど、
これはただのくぼみ。ちょっと謎めいています。

あんなにたくさん飛び跳ねていたサヨリは、昼間は全く見当たりません。
加茂湖の真ん中の深いところ(の表層)にいるか、
両津湾まで出ているのかもしれません。
夜にだけ、この浅瀬に集まっているようです。
今は潮騒も聞こえません。
2011.10.24 名前のない橋
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小倉川が国府川と合流するあたりに、辺茶橋という橋が架かっています。
これ、「べちゃばし」って読むんです。
その橋へ通ずる川沿いの道が、最近お気に入りコース。
滅多にひとの通らない、忘れられた小道のような道。

以前、両津の白瀬で、
農業用にだけ使われる丸木の橋を架けるお手伝いをしたことがあります。
(と言ってもわたしなどは、ただ呆然と見ているだけでしたが)
橋を架けるというのは、集落総出の大事業なんですね。
だから橋には必ず名前があるのです。
橋がなくなっても、橋という地名が残るのです。

辺茶橋にはどんな物語があるのかな。
聞きたくても誰もいない秋の午後です。

2011.10.22 小魚の涌く海
2011年10月22日 21:30 加茂湖・樹崎

いましがた、加茂湖の樹崎沿いを走ってきました。
加茂湖沿いは、夜は滅多に通らないのですが、
今、サヨリの大群が寄っていると聞いたので、
他に用事もあるついでに出かけたのです。

樹崎神社の周囲は、水深1~2mの極めて遠浅の地形です。
昼間は沖の表層を泳いでいるサヨリが、
夜にあえてこのような浅瀬に寄って来るのは、
外敵から身を守るためだろうと考えられます。
今回のことも、サヨリを求めて樹崎にスズキが出没するらしい、
という釣り人からの情報で知ったのです。

大群が寄っていたところで、闇夜で視界が利かないわけですから、
いるかどうかなどわかるはずもない、とあきらめていました。
カーブにさしかかり、車のヘッドライトが水面を照らした瞬間、
闇の中に、銀色の水しぶきが高くきらめきました。

それがサヨリでした。
何百匹ものサヨリが、突然の明かりに驚いて、
水面から飛び出してきたのです。
空中に躍り出たサヨリの銀色のうろこに、ヘッドライトが反射して、
凪の海に水しぶきが上がったように見えたのでした。

この現象は、樹崎の先端からぐるりと迂回して、
海が深くなるこごめの入りの入り口まで、かなり広範囲で見られました。
夜の神秘は、写真に残せないのが残念ですが、仮に撮れたとしても、
写真では伝えきれない生命の跳躍に、ただ息を呑むばかりでした。

車を止めて、ライトを消すと、一転、
静かな静かな秋の夜の海です。
耳を澄ますと、水面近くで無数のサヨリたちがざわめいています。
海の底から水が涌いているような音がしています。

2011.10.19
この半年あまり、すべての試みはむなしく、
あらゆるものは色あせて見えた。
海だけがいつも極彩色だった。
          
           海よ、この狂気をも優しく溶かす、
                        海よ。 
2011年10月 6日 10:30 二見元村 22.9℃

浜育ちの人びとにとって、もっとも身近なウミウシといえば、
巨大だけれども地味なアメフラシ。
ひとくちにアメフラシと言っても、佐渡の磯で見られるものには数種類あるようです。

一番普遍的なものはアメフラシですが、
これはちょっと毛色の違うジャノメアメフラシです。

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表面の模様が、月のクレーターのようになっているのが『蛇の目』の由来とか。
二見では比較的よく見かけます。
アメフラシ20匹に対して1匹くらいは紛れ込んでいます。
ぱっと見よく似ていますが、まあ並んでいれば違いがわかります。

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波のいたずらで、身体を包む外側の膜がふわりと開いた瞬間、
あ!!

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クレーターの内側は、目にも鮮やかな水玉模様。

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地味に装っていても、裏地にこだわるとはなかなかの洒落者です。

2011.10.16 『佐渡の花』
これ、何の木かわかりますか?

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可憐な紫色の花は、ナスの花に似ていますね。ナス科の植物です。
小さな朱赤の果実には日の光が透けて、ルビーのように輝いています。

これはクコです。クコって、普通に佐渡にも自生している植物なのですね。
相川では生垣に仕立てて、若葉も食用にしたと言われています。
もともとは中国原産で、海岸や河原に多いようです。
国仲では国府川の河口から長石浜にかけてよく見かけます。

長石浜は、現在は道路が分断していて実感しにくいのですが、
一歩内側に入ると、海岸植生がよく残っていて実に興味深いのです。

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これはアオツヅラフジ。試してませんけど、けっこうおいしいとか。
利尿作用のある薬草です。
深い藍色の果実が実に美しく、上手に乾燥してリースに使うと素敵です。

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エビヅルはいかにも食べられそうな野生のブドウの風情なのに、
とても酸っぱいので生食には不向きです。
お酒かジャムに使えるのではないかと思案中です。

このような佐渡の野草を知るには、伊藤邦男先生のまとめられた、
『佐渡の花』のシリーズがおすすめです。
これは読み物としても非常に優れています。

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残念ながら、春・夏・秋編のほうは現在は絶版で新刊は手に入りませんが、
島内の古本屋にまれに出回っている場合があります。
伊藤邦男先生の著書は他にも多数ありますので、この方の著作物を見かけたら、
迷わず手にとることをおすすめします。
先生の植物に対する深い愛に胸を打たれます。

数年前、『佐渡の花』を一冊にまとめた携帯版も出版されました。
佐渡汽船でも見かけましたので、ぜひ手にとって見てください。
登山ブームに呼応した再編集で、山の花が中心に掲載されています。
海浜性植物が大幅に削られてしまったのは残念ですが、
山の花が海のすぐ側にまで迫る佐渡の魅力を教えてくれます。

2011.10.16 カマキリの母
この時期、しばしば農道の真ん中で、
大きなカマを振り上げているカマキリのメスに出くわします。

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稲刈りのせいで、住処の田んぼを追われてしまったのでしょうか。
産卵場所を求めてさまようカマキリは、臨月のおなかを抱えて堂々たる構えです。

カマキリのメスは獰猛で、交尾のために近付いてきたオスも、
交接が終わらぬうちから、バリバリと食べ始めてしまうとか。
もしも食べられずに冬を迎えても、道端に転がるセミのオスのように、
どうせ死んでしまう命です。
最後の最後まで産卵に力添えできるカマキリのオスは、
それはそれで幸福なのでしょう。

カマキリは、雪に埋もれない位置に卵を産み付ける、
という迷信?が雪国にはあるようです。
昆虫がその年の積雪量を予測出来る、というのはいかにもありそうな、なさそうな。
真偽はさておき、人々がそう信じていた、ということに、
わたしは価値があると思うのです。
気性の荒いカマキリの母にも、子を思う心があると信じていたのです。

かつてわたしの母はこう言っていました。
人が人を殺してはならない、と子供に教えるのなら、
どうして一匹の蚊を殺してもよいのか、その矛盾を説明できなければならない。
父は釣りを好みましたが、釣った魚を自分で食べる、ということにこだわり、
いわゆるスポーツフィッシングに否定的でした。
命を奪ったからにはそれを食べる義務がある、というのが彼の主張でした。

いわばそれが、わたしの信仰する唯一の宗教であり、
カマキリの母こそ規範です。
2011.10.09 迷故三界城
9月23日、秋分の日の夕方、祖母が他界しました。
96歳、老衰でした。

20年近く認知症をわずらい、16年もの間、寝たきりでした。
最期の6年は施設に入っていました。
認知症は、単に記憶がなくなる病気ではありません。
一概には言えませんが、もっとも典型的なパターンでは、
はじめは新しいことが記憶出来なくなり、やがて思い出を失い、
言葉を忘れ、話し方を忘れ、歩き方、食べ方を忘れ、
十年程度の長い時間をかけて寝たきりになり、
動くことも、目覚めることも忘れて、
最後には生きることも忘れてしまう。
そういう病気であると聞いています。

このように書くと、極めて悲劇的な、救いのない疾患のように思われますが、
あえて、当事者の家族として言うなら、
非常にゆっくりと死んでいくので、周囲の人々にとっては、
心の準備をする時間が与えられて、死の悲しみが軽減する一面もあると思います。

母が死ぬときには、病気の進行が早かったので、
今日はもうこれができない、昨日は出来たのに、
たったこれだけのことが、どうして一日のうちに出来なくなってしまうのか、
死を覚悟していても、あきらめる気持ちが追いつかずに葛藤しました。
事故などで突然に他界してしまった場合にはなおさらでしょう。

高齢だったこともあり、祖母の葬儀に参列したのは、
親族と、「おつとめ」を上げてくれる集落のひとたちだけでした。
遺影の中の祖母は静かに微笑んでいましたが、それはもう何年も前の写真でした。
読経を聞きながら、わたしは彼女の死に顔を思い出していました。
眠っているだけのように見えました。いいえ、死に顔が眠るようだったのではなく、
わたしの記憶にあるここ数年の彼女の顔は、すでに死んだ人のそれだったのでした。

母のときは随分湿っぽい雰囲気でしたが、
大往生を遂げた祖母の葬儀は、ほとんど宴会でした。
悲しみは死よりも早く過ぎ去っていました。
認知症は、残されるものにとっては、優しい病気なのかもしれません。
以前は、家族の介護が最善と考えていましたが、
今は、むしろ出来るだけ他人に任せるほうが、
本人にとっても結局は幸せなのではないかと思っています。

本人の記憶にも残らない、家族も知りようがない、
そんな毎日は誰の人生でもない。
施設で過ごす認知症患者の晩年は、指の隙間から零れ落ちていく砂のようだ。
かつてわたしはそのように感じていました。
今でも時どき、介護の仕事にむなしさを感じます。
けれどもそれは空虚ではなく、どこか温かなのです。
零れ落ちた砂もまた、何かをはぐくむ大地となることもあるでしょう。

葬式のどたばたから2週間ほどが過ぎて、不意に悲しみが舞い戻ってきました。
家族を失った悲しみ。
わたしにはわかったことがあるのです。
家族は“いる”というだけで意味があるのです。
家族とはよりどころでしょう。辛いときになぐさめ、困ったときに助けてもくれるでしょう。
でもただそれだけではなくて、一緒に住んでいなくても、滅多に会わなくても、
もうわたしのことを覚えていなくても、
彼女がこの世に生きているだけで、
わたしには祖母がいる、と思えるだけでよかったのです。
そんな小さな幸福が、
ありふれた日常を、案外強く支えていたと気付いたのでした。

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