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丸一日、西三川のほうで仕事があって、帰り道、
真野湾越しに国仲を見た時に、
地平線際にまっすぐな雲の線が見えていたので、
おや、と思いました。
15時すぎに両津に入ると、加茂湖が白いもやに霞んでいました。

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またPM2.5が現れたのかと思ったのですけど、
両津港まで行くと、寒い霧が横殴りに流れているのが、
はっきり見えるほどになり、かなり視界が悪くなっていました。
どうやらここ数日のポカポカ陽気で、早くも移流霧が発生したようです。
霧は2時間ほどでおさまりました。

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霧が晴れると、波止場に「ときわ丸」が接岸していました。
4月8日から就航する新造船です。
道行く人々が、家路を急ぐ車を止め、散歩の足を止めて、
ぼうっと、ピカピカの船を見上げていました。
足元もおぼつかなそうなおじいちゃんが、
一生懸命写メを撮ろうとしていたのが微笑ましい。

夕日に染まる「ときわ丸」を見ていたら、去りゆく「おおさど丸」のことが、
急に愛しく思えてきました。
「おけさ丸」が就航してからは、随分邪険にしてまいりましたけど、
わたしが子供のころには、「おおさど丸」「こさど丸」の時代で、
「おおさど丸」が一番大きな、一番素敵な船でした。
自分の乗る便が、「おおさど丸」に当たると、
旅の価値が格段に上がるような心地さえしたものです。
乗り物に酔いやすかったわたしにとって、
一番頼もしい、一番安心できる船でもありました。

わたしを、生まれて初めて島の外へ連れ出してくれたのは、「おおさど丸」でした。
片道切符で島を離れた15の春、
蒼ざめた顔で奥歯を食いしばっていたわたし目に、
島の輪郭を見せてくれたのは、「おおさど丸」でした。
潜水士として、初めてスクリューの点検に同行させてもらったのも、
「おおさど丸」でした。

いくつもの、忘れえぬ思い出と共にあった「おおさど丸」、ありがとう。
わたしを未来へと運んでくれた「おおさど丸」、ありがとう。
今後はギリシャに買い取られることが決まっているそうです。
ギリシャは、海運王の国とも言われています。
世界へと旅立っていく「おおさど丸」、さようなら。

これからも、人々の夢と人生を乗せて、
愛され続ける船であってほしいと、切に願ってやみません。

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春まだ浅(つ)き・・・

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いいえ、間もなく春たけなわ。
店先に並ぶあさつきも、ずいぶん伸びて長くなりました。

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ザクザク切って、焼きうどんにしました。

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うどんはいつも、山新商店の「佐渡島のうどん」を買っています。
以前は「地粉」の文字が入っていたと思うのですが、
現在はその表記はないようです。

2014.03.18 天国の狭き門
彼岸の入りの今日は、わたしが生まれ育った集落の、
神社のお祭りの日です。
お祭り、とは言っても、鬼太鼓もないし、お神輿もない、
氏子が何人か、ちょろちょろっと集まって、
半日ばかりお札を販売するだけの、簡素なものです。

その様子からは到底信じてもらえないでしょうけど、
平安中期の『延喜式』にも記載された、
佐渡で最も古い、由緒ある神社の一つです。
祀られているのは、農業の神様です。
遠く海府にまでその名を知られ、お札を買い求める人々で、
かつての社日は、大変なにぎわいであったと聞いています。
今でも、内海府やら、前浜やらの古老に問えば、
たいていその名に聞き覚えがあるほどです。
けれども、実際に訪れる人は、めっきり少なくなってしまいました。

わたしが小学生のころには、まだ縁日の屋台が数軒、並んでいました。
それも年を追うごとに一軒減り、また一軒減りして、
とうとう誰も店を出さなくなってしまうと、子供心に、
お祭りそのものが消えてしまったような心地がしたものです。

それでも、母が生きていたころには、お赤飯を炊いていました。
それから鳥居の両脇に、
鎮守の森を突き抜けるほど高く掲げられるのぼり旗だけは、
威風堂々としていて、かつての威厳をとどめているようでした。
それが、いつのまにか、限界集落の悲しい定めで、
鳥居よりも低いのぼりになってしまったのは、残念なことですけれど、
時世の流れというものかもしれません。

鳥居の陰に、隠れるようにしてはためいている低いのぼりを見て、
思い出したことがあります。
神社のある高台よりも、100mばかり集落のほうへ下ってきたあたりに、
集落の方から預かっている田んぼがあったのですが、
すぐ脇を通る道の両側に、石で組んだのぼり立てがあったような気がするのです。
軽自動車がようやくすれ違えるほどの細い道を、ことさら狭めるように、
両脇に石柱がそびえていて、夕方になると、
田んぼの中に長い影を伸ばしていました。
道路拡張と耕地整理で様変わりして、今はその場所には何もありません。
石組だけで、実際にのぼりが立っているのを見た記憶はありませんから、
わたしが物心ついたころには、すでに使われていなかったのだと思います。

農作業の手を休めるひととき、
我知らず人が大樹の根元に腰を下ろすように、
家族みんなが石柱のそばに集って、こびり(おやつ)を分け合ったものでした。
その場所を車がすれ違う時には、集落のものは誰も無理をせず、
むしろお互い競うように車を止め、道を譲り合いました。

今頃になって、どうしてそんなことを思い出したのでしょう。
その場所が好きだったわけでも、別段、思い入れがあったわけもないのに。
石組みがなくなったことにすら気づかなかったのに、
雲の切れ間からさっと日が差すように、
不意にそんな記憶がよみがえってきました。

ここ1週間ほどの春の陽気と、今夜のぬるい雨に誘われて、
アカガエルたちが冬眠から目覚めたようです。

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明日は啓蟄です。暦通りなら、
眠りから覚めるにはぴったりの夜のはずですけれど、
明日からまた冬型が強まって、厳しい冷え込みになりそうな予報です。

仕事で、粟島へ行ってまいりました。
今度で3度目です。初めて旅行した折には、
もう2度と来ることはないだろうと思っていたのに、
不思議な縁でつながっているようです。

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粟島は、いま、完全に観光シーズンオフで、
島を訪れるのは、作業服を着た業者関係の方々ばかりです。
佐渡で言えば、海べりの集落が裏と表に2つあるだけのような島です。
都会暮らしの方が、自然の中でのんびりと羽を伸ばすにはよいのでしょう。

正直なところ、わたしは、
自分の休暇を過ごすために来ようとまでは思わないのですが、
何度か訪れてみて、いつも感心するのは、
旅館のお料理がおいしいことです。
これと言って目新しいものはなく、田舎風の、
やや甘めの味付けなのですけど、どれも丁寧に作ってあるのがわかります。
冷凍食品はほとんど使われていません。
思えばこの島では、冷凍食品を手に入れるにも、海を渡らねばなりません。

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海の向こうの越後は、佐渡から見る越後よりも近くに見えます。
近いはずなのに、ずっと遠くも感じられる春の海です。

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