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2011.10.09 迷故三界城
9月23日、秋分の日の夕方、祖母が他界しました。
96歳、老衰でした。

20年近く認知症をわずらい、16年もの間、寝たきりでした。
最期の6年は施設に入っていました。
認知症は、単に記憶がなくなる病気ではありません。
一概には言えませんが、もっとも典型的なパターンでは、
はじめは新しいことが記憶出来なくなり、やがて思い出を失い、
言葉を忘れ、話し方を忘れ、歩き方、食べ方を忘れ、
十年程度の長い時間をかけて寝たきりになり、
動くことも、目覚めることも忘れて、
最後には生きることも忘れてしまう。
そういう病気であると聞いています。

このように書くと、極めて悲劇的な、救いのない疾患のように思われますが、
あえて、当事者の家族として言うなら、
非常にゆっくりと死んでいくので、周囲の人々にとっては、
心の準備をする時間が与えられて、死の悲しみが軽減する一面もあると思います。

母が死ぬときには、病気の進行が早かったので、
今日はもうこれができない、昨日は出来たのに、
たったこれだけのことが、どうして一日のうちに出来なくなってしまうのか、
死を覚悟していても、あきらめる気持ちが追いつかずに葛藤しました。
事故などで突然に他界してしまった場合にはなおさらでしょう。

高齢だったこともあり、祖母の葬儀に参列したのは、
親族と、「おつとめ」を上げてくれる集落のひとたちだけでした。
遺影の中の祖母は静かに微笑んでいましたが、それはもう何年も前の写真でした。
読経を聞きながら、わたしは彼女の死に顔を思い出していました。
眠っているだけのように見えました。いいえ、死に顔が眠るようだったのではなく、
わたしの記憶にあるここ数年の彼女の顔は、すでに死んだ人のそれだったのでした。

母のときは随分湿っぽい雰囲気でしたが、
大往生を遂げた祖母の葬儀は、ほとんど宴会でした。
悲しみは死よりも早く過ぎ去っていました。
認知症は、残されるものにとっては、優しい病気なのかもしれません。
以前は、家族の介護が最善と考えていましたが、
今は、むしろ出来るだけ他人に任せるほうが、
本人にとっても結局は幸せなのではないかと思っています。

本人の記憶にも残らない、家族も知りようがない、
そんな毎日は誰の人生でもない。
施設で過ごす認知症患者の晩年は、指の隙間から零れ落ちていく砂のようだ。
かつてわたしはそのように感じていました。
今でも時どき、介護の仕事にむなしさを感じます。
けれどもそれは空虚ではなく、どこか温かなのです。
零れ落ちた砂もまた、何かをはぐくむ大地となることもあるでしょう。

葬式のどたばたから2週間ほどが過ぎて、不意に悲しみが舞い戻ってきました。
家族を失った悲しみ。
わたしにはわかったことがあるのです。
家族は“いる”というだけで意味があるのです。
家族とはよりどころでしょう。辛いときになぐさめ、困ったときに助けてもくれるでしょう。
でもただそれだけではなくて、一緒に住んでいなくても、滅多に会わなくても、
もうわたしのことを覚えていなくても、
彼女がこの世に生きているだけで、
わたしには祖母がいる、と思えるだけでよかったのです。
そんな小さな幸福が、
ありふれた日常を、案外強く支えていたと気付いたのでした。

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