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2011.01.01 Don't be so sorry
あけましておめでとうございます。
時が止まってしまったかのような一年だったのに、
こうしてまた、新しい年が明けました。

大晦日の夜は実家に戻りました。
新年の一番最初の朝を、家族そろって過ごすためです。
子供の頃からずっとそうしてきました。
初詣は、ここのところ毎年、
三が日のうちに地元の神社にお参りに行っていたのですが、
今年はお休み。
夏に母が他界したばかりだからです。まだ62歳でした。

去年のお正月、母はすでに体調の異変を訴えていましたが、胆石だと言われていました。
まさか半年のうちに逝ってしまうなどとは、誰もが夢にも思いませんでした。
わたしは決して信心深いタチではないのですが、
いいえ、むしろ熱狂的な自然科学の信徒なのですが、
本厄だったので、うすぼんやりと、嫌な予感がしていました。
元旦の願い事は、今でもよく覚えています。

    どうか1年を、健やかに過ごせますように。
    大きな災いが家族の身に降りかかりませんように。
    けれどももし、そのような不幸が避けがたいものならば、
    それに耐えうる心でありますように。

願いは叶えられたのだろうと思います。
一年は、嵐のように過ぎ去っていきました。
年の初めに、わたしも、弟妹もそろって転職し、
うまくいった者もあれば、つまづいた者もある。
突然の余命宣告から死まではあっという間でした。
失ったものを埋め合わせようとして、
誰もがとり付かれたように、何かに没頭してやり過ごしてきた日々。

そして今年、今年という年は、
わたしたち家族にとって、野分のまたの日なのだと思います。
嵐で乱れ、壊れ、失われたものは、いずれ修復されるでしょう。
けれどもその前に、顔を上げて、あるがままの世界に向き合うのです。
誰かが死んでも世界は壊れないのだということを、受け入れなければならない。

海を見ていると、自殺した韓国の大統領の遺書を思い出します。
みぞれを降らせていた暗い雲が途切れて、
金色(こんじき)の光が水平線を照らすときがあるように、
わたしの心にも、
彼の言葉を実感として理解できる瞬間が訪れるのです。

     あまり悲しむな。
     生も死も、すべて自然のひとかけらではないか。
     すまないと思うな。誰も恨むな。
     運命だ。

世界の美しさを教えてくれたのは、母でした。
わたしは水が怖く、小学校高学年まで全く泳げませんでした。
泳げるようにしてくれたのは母です。彼女も泳げなかったので、
そのことが人生の豊かさを損なうと考えていたようです。
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