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わたしが子供の時分には、
ひと月遅れの4月3日が、桃の節句の本番でした。
本番というのは妙な言い方ですが、
3月3日の雛祭りという、全国的に標準化された文化と、
むかしからの習俗とが、まだ、半々にせめぎあっていたころで、
我が家では、3月3日に飾りつけをして、
4月3日に仕舞う、というようなやり方で調和させていたようです。

同級生たちの家庭環境に比べると、
貧乏で、近代化に乗り遅れた感があることには、
早いうちから気付いておりました。ただ母方の祖母が、初めての外孫で、
奮発して買い揃えてくれた七段飾りだけが、よそよりも豪華なのは、
誇らしいような、こそばゆいような、複雑な心地がしたものです。

今時は、七段飾りなどは、子供にとっても嬉しくもなんともなく、
馬鹿げたものの代名詞のようになって、
せいぜい男雛、女雛を飾るだけの家が多いようです。
妹が高校に入ってからは、その一対すら飾られることがなくなってしまったのは、
もったいないと感じるようになりました。

15人飾りの甲斐もなく、ひとり住まいを続ける山の家に、
7段もの雛壇が現れたら、滑稽でしょう。わたしは、わたしひとりの雛祭りに、
わたしだけのお雛様を飾ります。

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幼いころから、高すぎて顔もよく見ないお内裏様やお雛様よりも、
わたしの心を強くとらえてきたのは、
左近の桜の花陰にたたずむ、老官吏の姿でした。
婚礼の席という場所柄や、若々しいほかの人形たちの中で、
明らかに異彩を放っています。他方の随身がりりしい若者なのも、
老いをいっそう際立たせます。

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老人に、在原業平(ありわらの・なりひら)を重ねて見るようになったのは、
いつのころからだったでしょう。
老人と桜、という組み合わせは、業平にこそふさわしいのです。
とすれば、右近の橘を背負うのは、因縁の間柄にあった、
藤原基経(ふじわらの・もとつね)以外にはありえません。

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基経は、入内を控えた身でありながら、業平と恋に落ち、
あげく、駆け落ちしかけるという、前代未聞のスキャンダルをふりまいた、
藤原高子(ふじわらの・たかいこ)の兄でした。
ふたりの逃避行は、あとを追ってきた基経によって阻まれ、
高子は連れ戻されますが、怒り心頭に発した基経は、
業平の髻(もとどり)を切り落としたといわれています。

髪を切られたくらいは、実は序の口で、権勢を誇った藤原氏の報復を恐れ、
業平はかの有名な「東下り」に旅立ち、
保護者代わりだった兄の行平(ゆきひら)は、
自ら須磨に蟄居するという事態に発展します。
『伊勢物語』にえがかれたこの一連の顛末、特に「東下り」は、
創作の可能性も指摘されていますが、業平が、
10年余りにわたって、昇格なし、という辛酸を舐めたのは事実のようです。

もうひとりの当事者、高子がどうなったかというと、
父親のごり押しで無事入内を果たし、やがて皇后となります。
若い時分に業平との過ちがあったことは、公然の秘密でしたが、
誰も表立っては批判できなかったでしょう。

20年近い歳月が流れたのち、3者が再び相まみえる日が訪れます。
基経の四十歳の誕生日を祝う宴席です。
その席で、基経と、今は二条の后と呼ばれている高子の前で、
業平がどういう歌を詠むかは、列席者の耳目を一身に集めたことでしょう。
稀代の歌詠みであった業平は、彼らの期待に応えます。

     桜花散り交ひ曇れ 老いらくの来むといふなる道まがふがに
                                 在原業平


この歌が朗々と読み上げられたとき、人びとは正直、
ぎょっとしないではいられなかったでしょう。
初句と終句を除けば、およそ祝賀の歌にはふさわしくない、むしろ禁句とも言える、
「散りかう」「曇る」「老いがやって来る道」などの言葉が続きます。
かつての敵同士とはいえ、基経は人臣としては最高位にまで登りつめています。
その、ときのひとの目出度い祝いの席で、
そこまでしなくとも、と思うくらい、目一杯不安をあおっておいてから、
「見えなくなってしまうように」という最後のひと言で、
業平は、見事に、全体の雰囲気を逆転して見せました。

あの夏の雨の夜には、血気盛んな若者だった基経も、
今ではこの歌をおもしろがるだけの、度量も地位も備えていたでしょう。
一方の業平は、当時としてはすでに老年と呼ぶべき年齢で、
皇孫という血筋を考えれば、極めて低い冠位のまま、
その生涯の晩年に差し掛かっていました。

長い確執の末に、このときふたりは、
心から和解したのではないかと、わたしは思うのです。
そしてそれを目の当たりにした、高子の複雑な心中を思うと、
風に乱れ散る、無数の桜の花びらを、薄紅に染め上げているのは、
物言わぬ彼女の血だったのではないかという気がしてならないのです。

今日のような雛飾りが登場したのは近世のことで、
お雛様に実在のモデルはいない、というのが通説のようです。
けれどもわたしには、どうしてもそのようには思えません。
入内する雛は高子。若い随身は基経。老人は業平。
すると仰々しい雛飾りが、ただ華やかなばかりでなく、
人生の苦々しさや、煩悶、真の味わい深さや、
つかの間の鮮烈なきらめきさえも見せる、
混沌とした曼荼羅のようにすら、思われてくるのです。

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