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4月15日は、鬼太鼓の門付け(かどつけ)で幕を開けます。

春の島のお祭は、なんと言っても、
観光客のためのものではないところが、いいのです。
いつだったか、仙台の方に、七夕祭のことをおうかがいしたら、
あれは観光客のためのものだから、地元の人間はあまり行かないんです、
とおっしゃっておられましたけど、
そういうお祭とは違います。
観光客の目なんか、これっぽっちも気にしておりません。
正真正銘、佐渡っ子の、佐渡っ子による、佐渡っ子にための祭典。

地域の持つ力は、まちまちですから、盛大に神事を行うところもあれば、
ようやく、虫の息で、のぼりだけを立てるところまで、千差万別ですけれど、
鬼太鼓の組を持っているところが多いのが特徴です。
地区によって、鬼太鼓の型は少しずつ異なっているのですが、
国仲系、前浜系、豆まき系(相川)に大別されると言われています。

それぞれの組は、祭の日の一日をかけて、
集落中の家を回って、家内安全、悪霊払いの舞を披露します。
これを門付けと呼ぶのですが、残念ながら無料ではありません。
花代と呼ばれるご祝儀を納める必要があるのです。逆に、
花代を納めれば、集落外であっても門付けを受けることができます。
わたしの実家のある集落は、鬼太鼓が絶えて久しく、面も残っていないのですが、
両隣では、今も熱心な方々のご尽力で続けられているので、
花代をお支払いして寄ってもらっているのです。

実家は、ちょうど、
国仲系と前浜系が切り替わる、境界に立地しています。
集落の境界あたりでは、
ふたつの鬼太鼓が門付けするところは、しばしばあるものですが、
幸運にも、我が家では、全く系統の異なる鬼太鼓を楽しむことが出来るのです。
それも、たいてい、同じ時間に鉢合わせることが多く、
朝とはいえ、皆、すでにかなり飲んでおりますから、
競うように太鼓を鳴らしあったりして、なかなかに見ごたえがあるのです。

鬼太鼓といえば、まず思い浮かべる勇壮な踊りは、国仲系のものです。
赤鬼と青鬼が、太鼓に合わせて1体ずつ踊ります。
特に、新穂のものが優れていると言われていますが、他も負けていません。
乱れる髪に、軽やかなステップ、ばちを構えて、ガラガラ蛇の尾のように震える手。
そしてこれは、意図しているのか、あるいは、
踊り手の息が上がってそうなるのか、わからないのですけれど、
ポーズを決めた瞬間に、しゅうううっ、といかつい面の奥から、
火を噴くような呼吸音が放たれるのが、実に神がかり的なのです。

一方の前浜系は、笛が加わって、2体の鬼が一緒に舞います。
これはまさしく舞、と呼ぶべき優雅なもので、
神楽の流れを汲んでいると考えられています。
国仲系のような荒々しさはなく、一見、ゆったりした曲調ですが、
回転を多用した型は、舞い手に大きな負担を強います。
そのような苦労は露も見せず、たなびく豊かな髪は風を宿し、
神の降臨を寿いで、鈴を打ち鳴らすたおやかな巫女のように、
指先は空(くう)に調和の円を描き出します。

佐渡ではこの日だけは、一種の無礼講で、警察の取り締まりもゆるいため、
鬼太鼓の一連体は、トラックの荷台に乗りあって移動します。
近年は家の前まで乗り付けてくるようになりましたが、
公道から家までのほんの100mばかりの坂道や、家の前庭が狭いので、
かつては公道脇に車を停めて、太鼓を打ちながら上がってきたものでした。

その100m、
庭に出て、鬼太鼓を待つ、ほんの2、3分の時間こそが、
祭の喜びが最高潮に達するときであり、わたしたち家族にとって、
1年で1番幸福な時間と言っても、過言ではありませんでした。
祖父も父も、鬼太鼓を愛し、朝から待ちかまえていましたから、
いつもなら農作業を始めている時間でしたけれど、
今日ばかりは家にとどまって、その時分には、そわそわと、誰からともなく、
玄関先に家族全員が勢ぞろいするのでした。
太鼓のリズムが全然違うので、ああ、今年はこちらが、
去年はあちらが先であったと、まだ見ぬ鬼の舞を思い浮かべながら、
息をすることも忘れて、曲がり角のあたりにじっと目を凝らすと、
やがて視線の先を、ゆらゆら揺れながら、
レンギョウや椿や桜で飾られた太鼓が、悠然と登って来るのでした。

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