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物部神社の鬼の中に、かつて、カリスマ的な踊りの名手がいました。
その方のことは、伝説のように語り継がれるでしょう。
語られなくなっても、人々の胸の内に、ふと思い起こされるときがあるでしょう。

ご本人も鬼太鼓が生きがいとか。もともと、小倉にはそういう酔狂が多いのです。
花形であり、肉体的負担の大きい鬼の引退の年齢は普通、かなり低いのですが、
(とは言え、若者不足の折ゆえ、今は30歳くらいが多いと聞きますけれど)
この方だけは、35歳くらいまで鬼を続けていらっしゃいました。

その最後の年、引退する最後の祭の夜、
素晴らしい舞もさることながら、
お宮入りが終わって、満開の桜の下で、ひとり、燃え尽きたように、
いつまでもじっと座り込んでいた、後ろ姿は忘れられません。
他の鬼たちが抱き合って苦労をねぎらいあう中で、
いつのまにか、確かに彼は、年をとりすぎていたのかもしれません。

その前年は、妙なもので、誤解を恐れずに言うなら、その方が最も輝いていた年でした。
漆黒の闇夜から、薄紅の花びらが降りしきる中、
舞い踊る鬼たちの足元では、散り敷いた桜の花びらが、
旋回に合わせて、泡の渦のように巻き上がります。
「あの鬼、すごいよ!」誰かが叫びました。その指差す先には彼がいました。

一日中、門付けをして歩いた後で、
足腰を酷使してくたくたになった鬼たちにとって、
腰を落とした低姿勢からの旋回は、肉体の限界への挑戦です。
そのようなぎりぎりの場面でも、その方は、
誰よりも低く構え、誰よりも素早く旋回し、誰よりも高く飛ぶことが出来ました。

いまや人々の目は、ただ1匹の鬼に注がれているのでした。
その技術と情熱は、十分注目に値するものでした。
一方で、彼があまりにも巧者であるために、他の鬼たちは影が薄れ、
今日一日は同じご苦労であったことを思うと、同情を禁じえませんでした。

最後の舞が終わっても、観客たちは微動だにしませんでした。
出来なかったのかもしれません。やがて誰からともなく、
手拍子と、アンコールの声が上がりました。
氏子たちも動揺して、退場すべきか否か、迷っているようでした。
滅多にないことだったのでしょう。

そのとき、太鼓を宮に仕舞うよう皆を先導し、事態を収拾したのは、
ほかでもない、その方でした。
人々の群れからは、残念そうなため息がこぼれましたけど、
4つの太鼓が本殿の奥に消えてゆくのを見て、
ひとり、またひとりと境内を去っていきました。

そのときわたしには、はっきりとわかったのです。
このお祭は、佐渡っ子の、佐渡っ子による、佐渡っ子のための祭典ですけれど、
紛れもなく、鬼太鼓は、
神様のものなのです。


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