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山での暮らしは、幼いころから、わたしが夢見ていたことです。
ひと里離れた山中で、木のうろに眠り、せせらぎで水浴びをして、
日がな一日、木々と対話しながら暮らしたい。
なんという世間知らずの夢だったでしょう。
それが不思議にも実現して、それなりに現実的な調子で、
今、夢の只中を生きていることは、奇跡というより奇妙な感じがいたします。

山の家のリビングの大きな窓から、庭の向こうに、
沢を挟んで、向かいの家の果樹園が見えます。
果樹園と言っても、柿の木が数本だけで、
あとは自然のままの、ひとむらの雑木林と、傍らに、
ブランコがかけられそうな、大きな栗の木が1本あるだけ。

お向かいさんはもう山には住んでいません。
母屋も残っていないのです。
でも、雪の時期以外は、一日三回登ってきて、敷地の整備を欠かしません。
年中住んでいるわたしの畑よりも、断然手入れが行き届いています。
敷地はかなり広大で、竹林や松林、梅畑なんかもあります。
山ん田も数枚作っています。このあたりでは、最も山の高いところにある山ん田です。

お向かいさんの庭は、まさしく、少女のわたしの夢見ていたとおりの世界です。
ひとむらの雑木林は、春は桜に彩られます。

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夏は、栗の木の樹下いっぱいのヤマユリの花。

秋は紅葉が天を焦がす。

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冬は一面、雪化粧に覆われて、厳粛な空気に包まれます。

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お向かいさんとは、時々話す機会があるのですが、
笑顔の素敵な、優しいおじいさんです。
わたしはお向かいさんになりたいな。
夢の世界の住人になりたいな。
だけどあの広大な庭を維持するには、毎日のたゆまぬ野良仕事が不可欠です。

世界中のガーデナーのあこがれ、ターシャ・テューダーはこう言っています。

     世間の人はバラ色のレンズを通してわたしを見ています。
     わたしも人間であることに気づかない。本物のわたしを見ていません。
     マーク・トウェーンが言ったように、わたしたちはみな月と同じで、
     だれにも見せない秘密の部分を持っているのです。

                          『ターシャ・テューダーの世界』


わたしは、お向かいさんの庭の美しさにばかり目を向けていて、
世界をバラ色に塗り替えるために、
寸暇を惜しんで注がねばならぬ、労力のことを忘れています。
そして皮肉とも思われることは、その庭を、一幅の絵のように、
外側から眺めることが出来るのは、お向かいさんの特権ではなく、
その庭のためには、指一本も動かすことのない、わたしの特権だということです。

朗らかで陽気なお向かいさんの人柄も、わたしの勝手な解釈かもしれません。
どんな笑顔の裏にも、語られることのなかった悲劇や苦悩がひそんでいるものです。
人はこの庭のように、自らの人生の輝きを、
決して外側からは見ることが出来ないものなのでしょうか。
リルケはこう書いています。

      おお、薔薇、純粋なる矛盾、よろこびよ。
      おびただしい目蓋の内側で、なにびとの眠りでもないという。

                          『リルケ詩集』 富士川英朗訳


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