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翌日の21時過ぎ、乙羽池にはひとの気配はありません。当然かしら。
こう見えて? オカルト好きなわたしは、さすがにちょっとビビっています。
一緒に行こうって、あちこち声をかけてみたけど、断られてしまったの。
生ぬるい、なんとなく嫌な風が吹いていて、木々がざわついています。

下見をしておいたのは正解でした。
懐中電灯の明かりだけでは、池を一周する遊歩道を探すのも、ひと苦労です。
倒木に近づくにつれ、生臭い臭気が立ちこめてきました。
これはもしや、心霊現象の予兆!?
いいえ、キノコが枯れ木を分解するときの腐敗臭だと思います。
熱しやすく冷めやすい性分のわたしは、
キノコオタクも、かなりのレベルに達していた(と自分では思う)ので、
当時は、キノコが生えていそうな場所が、直感的に分かったものですけど、
それは、こういう臭気に導かれていたのかもしれません。

はたして、ツキヨタケは光っていました。
光るのは、傘の裏のひだの部分です。
木の内部を駆け巡る菌糸も発光するといわれています。
20年前に見た、記憶の中の光よりも弱々しく、
懐中電灯を消してから、目が暗闇に慣れて、
ひだが見えるようになるまで、少し時間がかかりました。
残念ながら、わたしのデジカメでは、写真に写せませんでした。

それでも、ひだに手を近づけると、
指のしわが数えられるくらいの光量はあります。
暗黒の中に、ぼうっと浮かび上がる無数のツキヨタケ。
斜面に横たわる倒木を、下から覗き込むように見上げると、
空の高みへと登りつめる、星の階段のように、ひそやかに輝いています。

森は、確かに生きているのでした。
しばしば観光地では、行き過ぎた手入れのために、
倒木はすぐさま片付けられてしまう場合があるようです。
わたしは、こういう言葉が好きです。
死んだ木のない森は、死んだ森である。
ポーランドに残る、
ヨーロッパ最古の原生林を管理されている方の言葉だったように記憶しています。
枯葉や枯れた木が、菌類に分解されて豊かな土となり、
新たな命をはぐくみます。生命の健全な循環には、死が欠かせないのです。

また、これは、ちょっとうろ覚えなのですが、
著名な生物学者である福岡伸一氏が、
加熱するアンチエイジングに警鐘を鳴らして、
老いや、死こそは、自然界に対して、ひとりの人間がなしうる最大の貢献である、
というような内容のことを言われていたのを思い出します。
それは、人間さえいなければ地球環境は良い状態を保てる、
というような極論では決してなく、
すべての生物は、自らの死によってだけ、他を生かすことが出来る、
というごく当然の節理を言おうとしておられたのではないでしょうか。

ブナの大木は、生きていた時には、
目を見張るような素晴らしい姿をしていたでしょう。
その木は倒れて、ツキヨタケなどに分解されることで、土にかえり、
森に、新たな生命を吹き込みます。
わたしは、佐渡の植物学の研究に、偉大な功績を残された、
伊藤邦夫先生のことを考えていました。

先生は、大きな愛にあふれた、ブナの大木のような方だった。
お目にかかれたことを、心から誇りに思っています。
亡くなってしまわれたのは、本当に惜しいことでした。
しかし先生の情熱が、真にこの島の豊かな土壌となるためには、
喪失は、どうしても避けられないことだったのだ。

そして今、先生が不在の今は、ツキヨタケの時代ではないでしょうか。
次の世代のブナになることなどは、到底かなわぬとしても、
ブナからブナへの循環を橋渡しする者として、
せめてわたしは、ひとひらのツキヨタケになりたい。

わたしは、できることなら、この人生のうちに、この島に、
もう一度先生のような方が現れるのを、
目の当たりにしたいと夢見る者です。
そのひとはわたしよりも年若いでしょうか。
いつの日か、老婆が少年に、
あなたに出会うことが、わたしの長年の夢でした。
あなたにひと目、お目にかかれたことは、わたしの人生の最大の誇りです、
と告げたら、滑稽でしょうか。

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