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わたしがまだ幼稚園に通っていたころ、
農閑期の冬になると、父はタヌキを捕っていました。
今では幹線沿いにも出没し、かえって山では見かけなくなったくらいですけれど、
そのころはまだ珍しい山の生き物でした。
養鶏場からもらってきたニワトリを餌に、トラバサミでとらえたタヌキを、
毎朝、幼稚園への送迎のついでに、
町の処理工場へ持ち込むのは母の役目でした。
どのくらいの収入になっていたのかはわかりません。
父はこのような怪しげな副業を、いくつも掛け持ちしていましたが、
生活は苦しかったようです。

タヌキははく製や、襟巻に加工されていたようです。
1度だけ、工場の中まで、入れてもらったことがあります。
時代劇に登場する、正体不明の大店(おおだな)の主人のようなあるじと、
背後に飾られていた、白毛のタヌキのはく製の目が恐ろしかったのを覚えています。
テンが捕れることもありましたが、これは本当にまれでした。
テンは生きた獲物を好むようですので、そのことと関係があるかもしれません。

タヌキの死骸は、いつも母のジープの後ろに放り込まれていました。
古いタイプのジムニーで、金属板がむき出しの座席に弟とふたり乗せられて、
足元にそれが転がっているのを、不思議とも思いませんでした。
あるとき、死んだはずのタヌキが、車の中で息を吹き返していたことがあって、
父はすでに仕事に出ていたので、あわてて、
母が例の大店の主人を呼び寄せました。

そのときはじめて、わたしはタヌキがどのように殺されるのかを知ったのでした。
血で毛皮を汚さないように、顔を水に沈めて、溺れさせるのです。
毎日、タヌキの死骸を見ていたのに、
父がそのタヌキを殺していたことには、幼すぎて思い至りませんでした。
わたしは池のほとりに立ち尽くして、微動だにしない主人の背中を凝視していました。
タヌキの吐き出す小さな泡の音は、いつまでもいつまでも聞こえていました。

今、わたしの手元には、色あせ、すっかりツヤのなくなったテンの襟巻があります。
わたしたちが小学校に上がるころまでには、父は狩猟はやめていました。
テンとタヌキの襟巻を1本ずつ、母に贈ったのが最後だったようです。
成人するころ、母にねだって、テンの襟巻はゆずってもらいました。
母は振袖を作りたかったようですけれど、わたしは興味がありませんでした。

IMG_7722_convert_20130115202353.jpg

デニムや普段着のカーディガンなどに合わせて、得意気に巻いて歩いたものです。
あの不気味な義眼は両方とも剥がれ落ちてしまって、
代わりにラインストーンを貼り付けて使っています。
今でも時々身に着けますけど、本当に暖かいものです。
無益な殺生は感心しませんが、動物愛護団体に何を言われようと、
この襟巻を巻くときには、誇らしい気持ちが沸き起こります。

ニワトリとタヌキの死骸と共に、ジープに揺られて過ごした幼年時代は、宝物です。
そうやって父と母はわたしたちを育てたのでした。

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