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また今年も配水管を凍らせてしまいました。
雪が薄くて、猛烈な寒さがやってくるようなときには、
気をつけなければいけないと、重々わかっておりましたはずですのに。
これから春まで毎日、山の家まで水を運びあげる生活が続くのかと思うと、
わが身の愚かさが呪わしい。
とはいえ、冬の寒いのは、よいものです。
びちょびちょと雨が降り続くような冬は、好きになれません。

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子供のころ、1月になると、よくせりを食べさせられたものでした。
食べさせられた、と書いたのは、嫌いだからではなく、
普通、せりって、ちょっとずつ薬味みたいにして使うでしょう。
我が家ではわさっと、それこそ、パクチーのように大胆にせりを使っていました。
一面にせりの生えた永年休耕田があって、
ずいぶん盗まれもしたようですけど、母がせっせと摘んできては、
厳冬期の青物として重宝していたようです。

よそのひとが勝手に入って摘んでいるのを見かけると、
母はひどく憤慨したものでした。
それなのに、どんなに盗まれてもどんなに食べても、ちっとも減らないばかりか、
水が湧くように殖えていくのが、子供心に不思議でした。
そうなるように調整しながら、大切に大切に摘んでいたのだと思います。
後先考えないで、手当たり次第に引っこ抜いていくのが、
母は我慢ならなかったのでしょうね。

ある年、小倉川がひどく氾濫して、
集落に至る道路を寸断するほどの被害を出した夏、
せりの田んぼは濁流に飲み込まれて、泥と石で埋まってしまいました。
無尽蔵であるかのように思われていたのに、あっけないものです。
水の湧き出し口のあたりに、辛うじて残っていたせりも、
誰かに根こそぎ持っていかれて、それっきりになりました。

山にすむようになってから、集落の方に、
あそこにせりがあるよと教えられて、行ってまず驚いたのは、
清水がさらさらと流れているような場所に生えている自生のせりは、
ロゼッタ状のずんぐりとした草姿だということでした。
これをパクチーのように使うには、相当な量が必要です。
せりがどれほど貴重なものか、初めて知りました。
わたしの知っているせりは、しゅうっと茎の伸びた、
水耕栽培の販売品に近いものでした。
休耕田には湧き水がかけ流しになっていて、
10cmほどの水深がありましたから、茎が長く伸びていたのでしょう。

先日、わさびを採りに生家のあたりを歩いていたら、
今は荒れ地になっている、祖母の畑の脇の溝に、
せりが生えているのに気付きました。
何年も使っていない溝なので、所々詰まって水が溜まっているのですけれど、
その寒そうな水の底から、輝くような黄緑色の両手を広げて伸び上っているのは、
わたしの良く知っている茎の長いせりです。

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小さな溝の淀みに生えているのですから、数は多くありません。
慎重に数株を選んで収穫します。
思い通りのせりに出会えたのは幸運です。
来年も再来年も収穫できますように、願いを込めます。

母が得意としていたのは、刻んだせりを、
豆腐と炒めただけのシンプルなひと皿でした。
具材はせりと豆腐だけ。
父の少ない収入で、育ちざかりの子供たちを満足させなければならなかったのは、
毎日頭の痛いことだったでしょう。
フライパンに山盛りの豆腐を炒めても、あっという間に平らげていました。

水切りした豆腐をさっと炒めて、だし醤油で味付けします。
水で溶いた片栗粉をまわしかけ、全体にあんをからめ、
火を止める直前にたっぷりのせりを加えます。
せりの根も、よく洗って一緒に使います。

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せりがなじんだら火を止めて、出来上がり。
ちょっともったいないような使い方かもしれませんけど、
わたしにとっては懐かしい母の味です。
豆腐はかたくしまった、おいしいものを使い、
だしは香りが強すぎないほうが、せりの風味が引き立つようです。

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せりは買って食べるものではない、
雪踏み分けて、水をたどり、せりを摘むところから、
すでに『せりを食う』という行為は始まっているのだ、
とおっしゃっていた方がおりました。
本当にその通りだと思いました。

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