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2014.03.18 天国の狭き門
彼岸の入りの今日は、わたしが生まれ育った集落の、
神社のお祭りの日です。
お祭り、とは言っても、鬼太鼓もないし、お神輿もない、
氏子が何人か、ちょろちょろっと集まって、
半日ばかりお札を販売するだけの、簡素なものです。

その様子からは到底信じてもらえないでしょうけど、
平安中期の『延喜式』にも記載された、
佐渡で最も古い、由緒ある神社の一つです。
祀られているのは、農業の神様です。
遠く海府にまでその名を知られ、お札を買い求める人々で、
かつての社日は、大変なにぎわいであったと聞いています。
今でも、内海府やら、前浜やらの古老に問えば、
たいていその名に聞き覚えがあるほどです。
けれども、実際に訪れる人は、めっきり少なくなってしまいました。

わたしが小学生のころには、まだ縁日の屋台が数軒、並んでいました。
それも年を追うごとに一軒減り、また一軒減りして、
とうとう誰も店を出さなくなってしまうと、子供心に、
お祭りそのものが消えてしまったような心地がしたものです。

それでも、母が生きていたころには、お赤飯を炊いていました。
それから鳥居の両脇に、
鎮守の森を突き抜けるほど高く掲げられるのぼり旗だけは、
威風堂々としていて、かつての威厳をとどめているようでした。
それが、いつのまにか、限界集落の悲しい定めで、
鳥居よりも低いのぼりになってしまったのは、残念なことですけれど、
時世の流れというものかもしれません。

鳥居の陰に、隠れるようにしてはためいている低いのぼりを見て、
思い出したことがあります。
神社のある高台よりも、100mばかり集落のほうへ下ってきたあたりに、
集落の方から預かっている田んぼがあったのですが、
すぐ脇を通る道の両側に、石で組んだのぼり立てがあったような気がするのです。
軽自動車がようやくすれ違えるほどの細い道を、ことさら狭めるように、
両脇に石柱がそびえていて、夕方になると、
田んぼの中に長い影を伸ばしていました。
道路拡張と耕地整理で様変わりして、今はその場所には何もありません。
石組だけで、実際にのぼりが立っているのを見た記憶はありませんから、
わたしが物心ついたころには、すでに使われていなかったのだと思います。

農作業の手を休めるひととき、
我知らず人が大樹の根元に腰を下ろすように、
家族みんなが石柱のそばに集って、こびり(おやつ)を分け合ったものでした。
その場所を車がすれ違う時には、集落のものは誰も無理をせず、
むしろお互い競うように車を止め、道を譲り合いました。

今頃になって、どうしてそんなことを思い出したのでしょう。
その場所が好きだったわけでも、別段、思い入れがあったわけもないのに。
石組みがなくなったことにすら気づかなかったのに、
雲の切れ間からさっと日が差すように、
不意にそんな記憶がよみがえってきました。

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